第1課 大学生はやりくり上手
「本文」
ある新聞記事によれば、自宅を離れて生活する大学生の月平均の食費は2万6,720円で、大学生協が80年から行ってきた調査の中では最低額に落ち込んだそうだ。日本の大学生は親からの仕送りやバ?ト代が減る中で、食費や電話代を切り詰め、不意の出費に備えて月一万円貯蓄に回しているという。大方の予想に反し、この調査からは学生の意外に堅実な暮らしぶりがわかった。貯蓄が増えて入るのは就職活動にも大学院に行くのにもお金がかかるので、それに備えているからだという。学生たちはどんなやりくりをして生活しているのだろうか。
一人暮らしで自炊をしているAさんの食費は月1万だそうだ。彼は大学には夕飯の残りを詰めた弁当を持参している。新聞を購読している友達がいて、スーパーの安売りの情報を見つけるたびに携帯メールで知らせてくれる。醤油などの調味料や油は大型サ?ズを安売りの際に買うようにしている。一月の収入は仕送りの5万円と奨学金の5万円だが、就職活動中は?ルバ?トもなかなかできない。毎月家計簿をつけて月末に収支を計算し、黒字の場合は銀行に貯金する。そうして貯めたお金で就職活動用のスーツとバッグを買ったそうだ。スーツは近くの量販店で9,000円だったそうだ。就職したら親が払ってくれたお金は返したいとAさんは思っている。
節約は生活のためだが、計画的に、身の丈に合った生活を工夫している大学生たちに悲壮感はない。金がないなら、ないなりに楽しく前向きに考えている。「貧乏を楽しめるようになったら、一人暮らしも一人前」なのだそうだ。
「会話」 ?ルバ?トに応募
受付:こちら、中岛商事でございます。 木村:もしもし、私、木村真理子と申します。?ルバ?ト募集の件でお电话したんですが、こちらでよろしいでしょうか。
受付:?ルバ?トの件ですね。少々お待ちください。 坂本:はい、こちら人事部の坂本でございます。 木村:私、『?ルバ?ト』に载っていた求人広告を见てお电话しております。木村と申します。あのう、?ルバ?トの件なんですが
坂本:あ、?ルバ?トの件ですか。申し訳ありませんが、今、担当者が席を外しておりまして。
木村:そうですか。いつごろお戻りになりますか。
坂本:そうですね。はっきりは、わかりかねますが。多分、夕方ぐらいに戻ると思いますが。
木村:そうですか。それではまたそのころお电话してもよろしいでしょうか。 坂本:担当者が戻り次第こちらからお电话しますので、お名前とご连络先をお愿いします。 木村:はい。名前は木村真理子です。连络先の电话番号は080-480-5937です。
坂本:木村真理子さんですね。お电话番号は080-480-5937ですね。それでは,担当者は佐藤と申しますが、本日の夕方には戻ってくると思いますので、お电话差し上げるようにいたします。
木村:わかりました。どうぞよろしくお愿いします。では、失礼いたします。 坂本:はい、失礼します。
第2課 心の壁を越える勇気を
「本文」
ある新聞に、中国から一年前に来日して日本の大学で学んでいる留学生の話が載っていた。彼女の専攻は情報処理であるが、日本語を学び、将来は日本で就職して日本と?ジ?を繋ぐような仕事をしたいと思っている。
彼女は大学から奨学金をもらってはいるが、それだけでは十分ではないので、生活費は?ルバ?トで賄っている。今はお惣菜やさんで週3日から5日働いている。そこには母親と同年代の「おばさん」がいて、日本の家庭料理の作り方を教えてくれるなど、とても親切にしてくれるだが、?ルバ?ト先には同世代の友達がいないのが不満だった。
たまたま大学で女子大生と知り合いになり、わからなかったことをいろいろと親切に教えてくれたが、何回かお茶に誘ってみても、いろいろと理由をつけて断られてしまった。
せっかく留学したのに、日本人の友達が一人もいないどころか、どうすれば友達ができるのかさえわからない。いったいどうすれば日本人の友達ができるのだろう。彼女は悩んだあげく、新聞で相談することを思いついた。そして思い切って新聞に投書してみたところ、驚いたことに年齢や性別にかかわりなく150通を超える励まし便りが届いたのだ。彼女はこれらの手紙の束に大変勇気付けられた。
それだけではなかった。彼女が通う大学でも、実は同じような悩みを持つ留学生が多いことがわかり、大学の学長は入学式の式辞で学生に対し、「異質なものを無意識に遠ざけてしまうのは日本人の抱える大きな問題ではないか。」と問いかけた。日本人学生も「内向き思考」を変える勇気を持たなければならないということだ。
彼女はこれからは年の差を考えず、機会があればいろいろな人に声を掛けようと思っている。日本の文化についてもっと知りたいし、みんなに中国のことも知って欲しいと思うからだ。心の壁を越える勇気がほんの少しだけあれば、新しい可能性に満ちた人生が開かれることを彼女は学んだのだった。
「会話」友達を誘う
陳 :ああ、授業が終わりましたね。
鈴木:そうですね。疲れましたか、陳さん。
陳 :ええ、今週はまだまだたくさん授業があるので、準備が大変です。 鈴木:そうですか。じゃあ、どうしようかな。 陳 :え?なんですか。
鈴木:実は、私、踊りを習ってるんだけど。あ、前、お話しましたよね。 陳 :ええ、鈴木さん、練習は大変でけど、とても面白いって。
鈴木:そうなんですよ。それで、今週末に発表会があるんですよ。 陳 :はい。
鈴木:もし、興味があったら誰かお友達を誘って見に来てくれたいかなあって思って。 陳 :ああ、踊りの発表会。面白そうですね。
鈴木:ええ、お昼の3時から、区民会館なんですけどね。
陳 :あ、3時からですか。行けるものなら行きたいんですけど、4時から?ルバ?トがあるものですから……
鈴木:あ、やっぱり、無理ですか。あるばいと、誰かに替わってもらえないの? 陳 :そうですね。う~ん。誰かバ?トを代わってくれるかな。
鈴木:ありがどう。来てくれたらとても嬉しいですけど、でも、無理しないでね。 陳 :わかりました。じゃあ、後で連絡します。
第3課 携帯電話 「本文」
日本の携帯電話の普及には目を見張るものがある。
「携帯電話」というものの、電話しかできない機種はほとんどなく、若い世代を中心に電子メールが主流となっている。携帯電話はいろいろな機能を搭載して、進化をし続けた結果、使用者にとってなくては習い損座となっている。携帯電話を忘れると不安でたまらなくなるような携帯電話依存症気味の人も少なくない。それでは、携帯電話には電話やメール以外にどんな機能があるのだろうか。
まず、カメラ付きの携帯電話は2000年11月はじめて販売されて以来、若者を中心に人気を獲得した。携帯電話で撮った写真は携帯メールに添付して遅れるばかりでなく、プリンターに接続すれば紙にも印刷できるのだ。今では各社は内蔵カメラの画質をデジタルカメラ並みに高めた高機能型の携帯電話を続々と発売している。
ラジオを聞いたり、テレビを見たりする機能を搭載した携帯電話もある。かつてのウォークマンのように記録カードに、お気に入りの曲を保存して?ヤホーンで聴けるものが最近発売された。辞書として使えるばかりでなく外国語会話を音声で読み上げる機能をつけたものもある。
お財布の代わりになる携帯電話も登場した。電子マネーが使える昨日がついたこの携帯電話には?ンターネットを使っていつでも御金をチャージできるし、残高や履歴確認もできる。クレジットカードやキャッシュカードとしても使えるようになれば携帯電話はまさにお財布以上に大切な存在になるだろう。
玄関ド?の鍵やコンにロッカーの鍵になる形態も登場しており、携帯電話はますます便利になって行くと同時に、問題となるのは安全性である。暗証番号や指紋認証などの昨日を持った携帯電話も現在発売されているが、携帯電話をなくしてしまったら、家にも入れないし買い物もできなくなるという日も遠からず来るかもしれない。
携帯電話に高機能をつければつけるほど値段が高くなり、重くなってしまう事は避けられ
ないが、一歩で、御年寄を中心に携帯電話に余計な昨日はいらないという声も聞かれ、こういう年配の方のニーズにこたえて、操作が簡単で、取扱説明書など読まなくてもいいような携帯開発されるようになってきた。
技術はニシン月歩だが、携帯電話はこれからどうなるのだろうか。老若男女を問わずすでに携帯電話がなければ生活できない携帯電話依存症の人々も出現していると言うが、私たちは携帯電話とどう付き合っていくのだろうかと考えずにはいられない。
第4課 商社 「本文」
商社は日本独特の企業体系だといわれ、日本経済の成長は商社を抜きにしては語れない。しかし、商社とは何かを一言で説明知ることは難しい。なぜなら、商社は時代とともに変化し続けているからである。
商社の機嫌は、日本の鎖国が終わり、明治時代が始まる事にまでさかのぼる事ができる。この事、日本政府は近代化?工業化を目指し、欧米の先進国に追いつくために先進技術、物資、資本、設備などを海外から輸入し、鉱産資源、食品、繊維などを海外へ輸出しようとしていた。この時代の商社は日本と海外を仲介する、いわば貿易会社として大きな役割を担っていた。
1945年、第二次世界大戦後、日本の産業は停滞し、財閥解体により商社も衰退するかと思われた。しかし、1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、1960年に池田内閣が所得倍増計画を発表してからは日本の高度経済成長が始まった。商社は資源のない日本に石油、木材、鉄鉱石などの資源を齎し、鉄鋼、船舶、自動車などの日本の製品を海外の市場へと運ぶというトレーダー役を果たし、いわば「日本株式会社」の購買部? 販売部として日本の経済成長を促すという役割を果たしていた。商社自身も同時に日本企業の海外活動を包括的にサポートしながら急速に発展していった。このような商社の機能はこの時代の日本の企業にとって重要なものとなっていったのである。
しかし、世界市場で躍進を遂げた日本企業は、次第に海外との仲介役としての商社の機能を必要としなくなり、自前で世界と交流する力を持つようになった。その結果、商社の収益も急激に落ち込み始め、1980年代のバブルが崩壊するや否や、内需も停滞し、日本長期不況時代が始まった。大量生産、大量消費の時代の終焉とともに、商社の役割は後退し、「商社不要論」さえも唱えられるようになった。商社には再生をかけた新たなコンセプトが必要になった。
21世紀を迎え、商社は旧来の貿易会社としての役割とは異なる新たな氏名を模索している。従来通りの市場のニーズを探るというより、商社水羅が市場の潜在ニーズを発掘し、それに伴って発生する問題を改称し、充足して提供して行く事によって日本経済の発展を促すという使命である。このように経済環境の変化に応じて、商社は常に時代に即したビジネススタ?ルを構築し、新しい価値を提供していくことで、その使命を果たしているのである。
第5課 100円ショップ
「本文」
最近、町には100円ショップがあふれている。100円ショップというのは原則として、店内の商品を1個100円で販売する形態の小売店であり、商品が100円均一であるところから「ひゃっきん」と呼ばれている。もっとも5パーセントの消費税を払わなければいけないので実際には105円になるのだが、若者はもとより年配者から子供たち至る幅広い客層でにぎわっている。
100円ショップは登場以来、急速に成長して着た。その成功の理由は、なんといっても一般200円をはるかに超えると思われる種類豊ふうな商品がすべて100円で買えるということに他ならない。商品の半分近くが中国製で、マレーシ?、韓国、タ?など?ジ?諸国を産地とする物も多い。商品構成は食品、フ?ッション、?クセサリー、化粧品、健康用品、台所用品、食器類、プラスチック製品、大工用品、文具、おもちゃなど、日常生活に必要な品物ほとんどが100円ショップで賄えるのではないかと思うほどだ。
しかし100円ショップの躍進に非常に大きな影響を与えてきたのは商品の魅力だけではなく、その構造と接客方法なのである。
多くの100円ショップではとても100円では変えそうにない商品を入り口部分にたくさん陳列して客の目をひきつける。店内は、買う?買わないに関係なく、初めて客でも自由に商品を見られるように商品が並べられている。客は自由に店内を歩き回り、目に着いた商品を手に取り、もし気に入った商品があれば、かごに入れてレジに持って行き、生産をする。店員は商品の整理や陳列を行うだけで、客から質問があったときにしか接客は行わない。
100円ショップはコンビニよりも規模が大きく自由に見たり、歩き回れたりする空間を提供している。買い物だけではなく、待ち合わせや時間不武士、娯楽といった目的の為に100円ショップを利用する客もいるらしい。つまり、100円ショップに行く客は、特に何かを買うという目手があるわけではなく、そこにあるたくさんの商品を見るためにやって来るのだろう。そして、店内をぶらぶらしている間に、不足していた物、あれば便利な物、他で買うよりも安いもの、興味のある物などを見つけ、思わずかごに入れてしまうのだ。高い物ならともかく100円ならば衝動買いしてもそんなに後悔しないという人も多いだろう。デパートやコンビニとは違い、100円ショップは、客に見似てきてもらうことを目的に作られているのである。
第6課 ロボットスーツ
「本文」
ロボットといえば、ドンナロボットを思い浮かべるだろうか。これまで開発されて着たのは工業用ロボット化、鉄腕?トムのような人間に似たロボットが多かった。接客ロボット、掃除ロボット、チャ?ルドケ?ロボット、警備ロボット、手術ロボットなど、人間