の代わりに働いてくれる実用ロボットばかりか、人の気持ちを慰めたり癒したりしてくれるエンターテ?ンメント用ロボットや恋するロボットなども開発されている。
先日、テレビで新しい発想のロボットが開発されたという番組を見た。これはロボットスーツという物で、人間の身体の昨日の一部を補完、または強化する技術だ。現在、開発では交通事故で足にマヒが残ってしまった人にロボットスーツを装着してもらい、その高効果を検証していた。足にセンサーと足を支えるモーターを装着し、パソコンを背負う。センサーが足の筋肉から信号を広い、歩くのを支援するという仕組みである。つえをついてもゆっくりしか歩けなかった人がロボットスーツを装着したとたん、しっかりと歩けるようになるのを見て驚いた。足にはくのはブーツのような物で、パソコンも文庫本程度の大きさにできるだろうという。もしこの技術が実用化されれば手足にショウガを持つ人やお年寄りも自立した生活ができるようになるだろう。
ロボットスーツは介護や医療用に限らず、様々な分野で適用できる広いビジネスとして広がる可能性を持っている。センサーやカメラを装着すれば災害救助や原子炉解体などの危険な作業現場でも応用できるだろう。
SF映画や?ニメの世界ではすでに、ロボットスーツを装着した主人公が縦横無尽の活躍をしているが、無限の可能性を持つ技術がいよいよ実用化される段階になったのである。しかし、優れた技術だけに、戦争ロボットや泥棒ロボットなどに転用されれば、恐ろしい脅威にもなりかねない。ロボットはいよいよ身ぢな存在なりつつあるが、そのためには安全性という厳しい約束が必要なのである。
第7課 赤ちゃんと手話
「本文」
中国に限らず日本でも子供のしつけや教育に頭を悩ませる親が多い。日本では幼児期から英語や水泳を習わせたりする教育熱心親もいる一方で、子育てに悩んだ親が子供を虐待してしまう事件も起こっている。
ある雑誌の記事によると、最近?メリカでは生まれた赤ちゃんと少しでも早くコミュニケーションを取りたいと願う親の間で「手話教育」がブームになっているという。専門家は、赤ちゃんは本来ボデ?ランゲージで要求を伝えようとするものなので、手話を教えるのは理にかなった教育法だと言っている。
一般的には親子教室で生後間もない意赤ちゃんと両親がともに手話で表現を学ぶ。といっても、表現は正確でなくてもよく、その子なりの方法で自分の欲求、気持ちなどを表現できるようにするのが目的だ。
こうした手話教育を受けた赤ちゃんは多くが生後10ヶ月にもなると50程度の単語を覚え、「ミルクがほしい」、「抱っこして」などの要求を手話で表現できるようになる。さらに、一切を過ぎるとかなり複雑なことも手話で表現できるようになり、乳幼児が物事をよく観察していることもわかってきた。乳幼児期に手話を覚えた子供とそうでない子供を学
齢期になって比較した場合、手話を覚えた子供の方が平均15%もIQが高いという調査結果もあるという。そのため、保育所や幼稚園、小学校でも手話を教育カリキュラムの一環に加えるところも増えているそうだ。
これまでも幼児期から複数の言語を話す事は脳の活性化につながる、と言われて着た。それをボデ?ランゲージと結びつけた手話教育は、ますます子育てに悩む親の心をひきつけつつある。手話が、ただ泣くだけだった赤ちゃんに主張という手段を与えてくれるのだとしたら、子供とコミュニケーションがとれずに悩む親を救うことになり、結果的に子供の情緒安定にも役立つに相違ない。
第8課 犬が取り戻した家族の笑顔 「本文」
一月初めの愛犬すみれ(ポメラニ?ン)の死で、暗くなってしまった我が家。ペットロス症候群というらしいが、私も妻も末娘も何かにつけすみれを思い出し、悲しみのあまりまるでやる気がなくなっていた。
1年は人間の4年に当たるからと勝手な理由をつけ、2月初めに近くの犬の店に行った。家族に見に行くだけといいながら、私は初めから子犬を購入するつもりでいた。
そこで、末娘が身に中ダックスフントに一目ぼれをした。娘は?レルギー体質なのに顔中なめられ、痒がっていたが、満面の笑み。もう話すことはできなかった。ダックスフントが家族の一員となり、桜と名付けた。おしっこも運子も散らし放題だが、妙に愛敬がある。
「胴長で足が短い。腹が出ている。顔が長い。まるで、パパ見たい」と妻が言う。ちょっとムカついたが、否定できない。桜の出現で一挙に家が明るくなった。それなら、もっと明るくしよう、それに、一匹の死であれほど悲しむのなら、たくさんになればそんな事態にはならないはずだ。
次の週に再び、犬の店にいった。そこには兄弟に足蹴にされている雌の白いチワワがいた。まだ、生まれて7週目。今度は妻が気に入り、それを買い、名前はランになった。スミレから続く花シリーズだ。体重700グラムで、私のナ?トガウンのポケットにすっぽり入ってしまう。初めはおびえていたので、手でじかにペットフードを与えるとやっと口にした。3日間は桜と別々に寝かせていたが、4日目から2匹を一緒にしたら、かみ合いじゃれつきながらも仲良く寝るようになった。
今、私は早起きをして、えさやりとト?レ掃除が朝の日課になり、夜2匹の出迎えが楽しみとなり、仕事にも張り合いが出てきた。
世はまさに空前のペットブーム。ストレスの多い日常、証拠高齢化社会、デジタル化の波が押し寄せる。色々な要因があろうが、そんな分析はどうでもいい。無邪気な犬たちのおかげで我が家に笑顔が取り戻せた。
第9課 日本の急速な少子高齢化社会にどう対応していくか 「本文」
出生率の低下と平均寿命の伸長から、日本では急速に少子高齢化社会が進みつつある。出生率の低下そのものは日本に限らず多くの先進諸国に共通して見られる現象であり、近年は?ジ?諸国においても出生率の低下傾向が表れ始めた国もある。また日本を含めた先進諸国では平均寿命が大幅に伸び、全人口に占める老人行の比率も高まっているのも、共通した現象である。
しかし、先進諸国の中でも、日本は平均寿命が最も高いグループに属すると同時に、出生率の低下が止まらないことから、他の先進諸国と比較しても日本の少子高齢化は急速に進んでいる。その結果、楽観的な見通しに立つとしても2010年以降は日本の人口は減少に転じると推計されている。一人の日本人女性が生涯に産む平均の子供の数、すなわち合計特殊出生率は2004年には過去最低の1.29となっており、出生率の低下が今後もこの流れに沿って進めば、日本の総人口は現在の予測をさらに下回り、老年人口の比率はさらに高まっていくことが予想される。
生産年齢人口(一般的に15歳から64歳までの年齢人口)はすでに1995年以降、減少傾向にある。少子高齢化が加速していけば、年少人口?生産年齢人口の減少と老年人口の増加により、日本の人口構造は大きく変化する事となる。その結果、社会保障の負担は膨れ上がり、そのあり方の根本的な見直しを行う事が必要とされる。いかにして女性が子供を持ちやすく、また男女共同で子供を育てやすい社会を確立していくかは、日本が早急に取り組むべき課題の一つである。出生率が回復傾向にある諸外国の事例なども参考にしつつ、少子化対策とあわせて男女共同社会参画を検討していくことが重要となるだろう。
少子化で若年人口が減れば、労働力が減ることになり、将来予想されるろうダウ力の需給ギャップの解決のためには、女性の労働力の活用や若年層の労働市場への参入促進と同時に、海外からの優秀な人材も日本にとって活用すべきチャンスとなることが期待される。多くの外国人とともに日本人にとっても働きやすい社会を築くことができるのかどうか、これからの課題である。
第10課 たばこに迷惑していますか 「本文」
たばこを吸えば、本人だけでなく周囲の人に迷惑をかける。とりわけ路上で歩きたばこをすれば煙だけでなく、すれ違う人の服に穴をあけたり、走ってきた子供の顔にやけどを負わせたりということにもなりかねない。
その上、他人の前でたばこを吸えば、喫煙者本人だけではなくたばこを吸わない人の健康も脅かすことになる。そこで、受動喫煙の被害防止を法律で定めた健康増進法が2003年志向され、たばこを吸う人と吸わない人を分けようという分煙の動きは確実に広がりつつある。関東の私鉄大手が駅を全面禁煙にした際、これを「やりすぎだ」とひはんするひとはおどろくほどすくなかった。また、たばこへの課税に対しても、増税を当然と思う人が半数近くを占めているという。
レストランや喫茶店などの飲食店に入るとき、大半の人が禁煙席の有無を気にしているそうだ。最近では飲食点でも分煙が進んで着た。しかし、喫煙席と禁煙席を分けても、すぐ隣の禁煙席にまで煙が回ってきたり、お客が禁煙席を希望すると長々と待たされたりするなど、まだまだ課題も多いようだ。飲食店を利用する立場からは、完全禁煙にした方が店に人が入るという意見がある一方で、飲食店側にしてみれば、完全禁煙にしたいが喫煙する客もまだまだ多いという現実もあるようだ。
なぜ最近、分煙を求める動きが目立って着たのであろうか。日とるには喫煙者側のモラルの欠如があげられるだろう。悪いと知りつつも、近年の場所でも人目もかまわずたばこをふかすヘビースモーカーの姿も時々受けられる。「歩きたばこ禁止条例」をつくった東京都千代田区によれば、すっもーカーに歩きたばこをしないように注意を呼び掛けても事態は改善されないので、やむなく罰則義務の導入になったそうだ。喫煙派がルールを守らなかったせいで、対応が厳格化してしまったということだろう。
世界的に見ても、喫煙による健康被害の防止を目的として、公共の場で喫煙の禁止をする国は増加する一歩だ。これらの国では愛煙家の肩身がますます狭くなることは想像に難くない。
第11課 食の安全
「本文」
今、私たちの食生活は、安全性の問題をはじめとして大きく変わった。戦後の貧しい時期に比べると、食べ物の種類や良が豊かになった反面実態がよくわからない。一つには、身近にあるよく知っているものを食べる時代から、海外を含めてどこからともなく集めてきた出どころのわからないものを食べる時代になったという面がある。
もう一つは、家庭での食品の調理や加工が少なくなり、食品そのものを知る機会が少なくなった結果、食生活に関する知識が薄れて着たということである。食品の種類や量、情報がどんどん増える一方で、食べる側の私たちは食品に関する知識や技術を失い、自分で判断できなくなり、不安だけが増大している。
そういう状況の中で、食品とはどうあるのが正しいのかを考え直さなければいけない。つまり、どこまでも商品化されたものに追随していく生活を送るのか。それとも、原材料や生産状況を含めて食をもう一度とらえなおそうとするのか。私たちはどちらかの道を選択しなければいけないのではないだろうか。
この事は食生活だけではなく、生活の仕方にもかかわってくる。食事に使う時間をどんどん減らして人生が豊かだと思うなら、食品に対してうるさいことは言わず、黙って餌として食べればいい。しかし、心をこめて食事を用意したり、食べたりすることは生きていくうえで重要なのだとこだわるなら、それなりの時間と労力を惜しんではいけない。
食品が課硬度や商品度の非常高いものとして提供される現代は、原料となる農産物の姿や
形、その生産現場から消費者が非常に遠いところにおかれるようになっている。戦後、いわゆる自由貿易体制の強化と価格競争の中で、食品の原料は遠い国から調達され、たくさんの加工工程を経て私たちの食卓に届くようになった。
消費者は食べる物の素性がわからなくなり、自分たちの健康が食べ物によって蝕まれていくという懸念を持つようになった。狂牛病、遺伝子組み換え食品など、最近、世界で起きた食をめぐる問題は、こうしたグローバリゼーションに一因がある。
「食の安全」は一朝一夕には取り戻せない。だから私たちにも確固たる石が必要になる。あふれる食品と薄れる生活意識の中で、判断基準を失って増大する不安。私たちはいつまで私たちの子供たちに安全な食物を与えることができるのだろうか。食の安全が案じられてならない。
第12課 フリーターとニート 「本文」
自分のやりたい仕事が見つかるまで定職につかない、フリーターと呼ばれる若者が増えてきた。フリーターという言葉フリー??ルバ?ターの略で、1980年代から爆発的に増加して、今や200万人を突破していると言われる。彼らの考えによれば「若いうちは仕事よりもやりたいことを優先させたい」、「好きな仕事なら正社員でなくてもかまわない」「やりたい仕事が見つかって初めて本気で働こうというものだ」ということだ。しかし、実際にはフリーターの中には、やりたい仕事が見つからないからとりあえず?ルバ?トをしている者や、卒業した物の技能がないから正社員に雇ってもらえないものも多く、仕事よりもやりたいことを優先させるために積極的にフリーターになったものはごく一部にすぎない。
ところが、最近、失業者でもフリーターでもない、ニートと呼ばれる無業の若者たちが急増している。ニートとは「Not in Education,Employment or Training」の頭の文字をとったもので、義務教育終了後、進学も就職もせず、職業訓練もうけていない若者を指し、その数は60万人とも80万人とも推計されている。中卒や高校中退の結果ニートになる「非行型」の若者は世界各国に共通しているが、高学歴でもニートになるのが日本の若者の特徴だと言われている。日本のニートは、自分らしい仕事が見つけられないまま立ちすくむ「自己実現追求型」、一度は就職しても早々と退職して次の職探しをちゅうちょする「自信喪失型」、社会との接点が極端に少ない「ひきこもり型」などに分類されている。いずれも親が子供を養う余裕があることが前提で、日本ならではの問題といえるかもしれない。
白紙の状態で会社に入り、給料をもらいながらいろいろな仕事を覚えて定年まで同じ会社に勤め続けるというのが高度成長期の日本のシステムだった。バブル崩壊の後の日本社会において、このような年功序列、終身雇用といったシステムが働かなくなったことがニート急増につながっていると指摘されている。
「やりたい仕事」をしなさいと言われて育てられた若者たちが、「やりたい仕事」を見つけられずに立ちすくんでいる。現代の日本社会において急増するニートの存在は、私たちに働くことの意味を考えさせずにはおかない。働く意味とは一体何なのだろうか。働くこ